さよなら はてな

はてなダイアリーの記事の更新は、1月28日をもって停止される。以降は、「はてなブログ」に順次移行されるそうだ。その流れに乗って、新しいブログに移されるのを見ていようと思う。よって、はてなダイアリーとしては、今回を最後の更新とします。これまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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年下の彼氏ができた。
なぜか占いが好きな人で、私もつられて『365日誕生日占い』という本で彼の誕生日を見てみた。すると、

  • 明るく社交的
  • 人の輪の中心にいる
  • みんなでワイワイするのが好きな、いわゆるパリピ

うーん。一つも当てはまらない。この日に生まれた人って、本当にそんな性格なのだろうか。さらに読んでいくと、

  • 幹事や司会のような仕事が得意

ここでようやく気づいた。あいつじゃないか。

今日1月25日は、平成最後の大きな音楽番組の司会を務めたパリピなあいつ(37)と、彼氏の誕生日である。
「あいつ」に負けじと夢を見続けようとするならば、「あいつ」と「彼氏」が一致する未来が、いつかあってもいいと思う。
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Xデーまで私は更新を止めない。はてなブログでまたお会いしましょう。チャオチャオ。

【仮説】A・RA・SHIは人を初心に返す

すばるがもうすぐ37歳になり、年末には事務所を去ってしまう。7人最後の関ジャムは、きっとこれからも録画を消せない。すばるは「人生半分くらい来たのかな」と、35歳頃から脱退を考え始めたそうだ。

私は現在34歳で、仕事を辞めたい。

  • 人を叱ることの方が増えた。叱られるより叱る方がつらい。自分のことだけ考えて、自分のミスだけ謝っていればよい時代は過ぎた。
  • 目上の存在を負担に感じてしまうことが増えた。ある大御所が、急に新規事業に誘ってくれた。最初は喜んだが、やけにしつこいので困惑し、そして気づいた。仕事がなくて困っているのは相手の方だったのだ。指導者のような顔をして現役に依存されても困る。

要するに人間関係だ。
それは年齢なりの大人のつとめである。どの業界に行こうが逃げられない。なにより食べていくためには働くしかない。
それに、一応この仕事が夢だったのだ。就業までにかけた時間と労力を思うと引き返せない。保身に走って身動きが取れない。

すばるの勇気に、組織に属する一人として見とれてしまう。なんらかの犠牲を払ってでも、悔いなく人生を生きるというメッセージ。

嵐も同じように苦しく思う瞬間があるだろうか。ないはずがない。一生分の貯金があったら、私は仕事を辞めている。たとえそれが夢が叶った結果であっても。
その選択をしない、5人の心を今支えるものはなんだろうか。櫻井が夢を見続けたいと思えるのはなぜか。A・RA・SHIを年に何度も歌ってるせいなのか。辞めれば自由が手に入り、責任を手放せる。はたから見ればそう思うが、彼らにしてみれば、続けることにも自由があり、辞めることで生じる責任の方が重いのかもしれない。
その理由を突き詰めていくと、美しいものしか残らない気がする。

はてなダイアリーの終焉

はてなダイアリーが2019年春でサービスを終了することになった。
確かに私も更新していないし、嵐関係のはてなダイアリーはほぼ閉じられてしまった。はてなブログもほとんど開店休業状態である。

この閉園前の遊園地みたいな人の少なさが、なにを書いてもいいように感じて好きだった。あえてここに残っている人たちは、どこか似た感性を持っているようにも思えた。
二宮が結婚するまでは、ずっとこの日記を残しておこうと思っていたのに。というのはフリではないので、二宮、急いで結婚しないでいただきたい。

寂しいが納得もある。最後のその日までここにいたい。

今日もアイドル、明日もアイドル

ルージュ 染まりたい
乱れたままで


ブラックペアンを最終回まで見たものの書くことがなく、二宮の誕生日にも黙っていた私だが、「しやがれ」の櫻井の新コーナーにときめいている。

  • 「朝活」って、もはやロケが深夜早朝にしかできないから出てきた苦肉の策としか思えない。
  • ロケは大変そうだが、櫻井が寝起き姿を見せてくれるなんて。この年齢になると寝起きドッキリも無くなるので、新鮮な姿が見られて嬉しい。
  • いつも以上にスタッフと素で話しているように見えてときめく。起こされて出てくる「ちょっと待ってよ」が一切作っていない声に聞こえて、思わず巻き戻してもう一度見た。

顔色が悪くて目が離せない、前髪短い二宮も、
スポーツができる男性はなぜかっこよく見えるのかいつも考えさせてくれる体幹の鬼の大野も、
役作りなのか美白を保って柔らかい雰囲気になった相葉も、
深夜にハイカロリーメニューを食べる櫻井をどんな顔して見ているんだろう、スタジオでかじるとうもろこしも炭水化物摂取量にカウントしているであろうJも、
5人とも懐かしい仲間のよう。
ふるさとの親のよう。孫のよう。
嵐の吹かない日常が近づいている気がする。しかし出先で新旧アルバムの曲を聞くと上がる。この二年、ずっと「イン・ザ・ルーム」を目覚まし代わりにしている。毎朝毎朝、二宮の歌い出しを飽きもせず聞いている。ルージュは700本を超え、染まって染まって染まりきっている。
嵐は私にとって、もはや追いかけるアイドルではなく、アルバムが出れば当たり前にふと買うような、ただそうやって生活の側にあるような、アーティスト一般と同じ位置づけになりつつあるのかもしれない。生活丸ごと包む。

もう戻れない

その時のためにこのブログはある

昨晩、仕事の飲み会が5次会まで続いた。ほとんど明け方に帰り、二宮のニュースを知った(コメントありがとうございました)。もうろうとした頭であわてて検索すると、メインの熱愛報道に加えて、
「結婚」
「事務所退社」
という文字が躍っていた。
もちろんどちらも最後に小さな「?」がつくネタだったのだが、どちらも実際にした人たちがいることを考えると、即座に否定はできず、心がビシッと割れた。

以前、二宮はMOREの連載で「これは友達の話なんだけど、彼女に結婚や出産のリミットを勝手に設定されても男性としては戸惑ってしまう。二人で付き合っているのに、二人のことを考えないで、自分の都合だけで計画されてもついていけない」という趣旨のことを語っていた。それを読んで私は

だせえ

と思った。

  • 30も半ばだというのに、女性が結婚や出産のリミットを、精神的にではなく身体的に持っていることをいまだにわかっていないのか。
  • その彼女の願いは「二人のこと」のうちに含まれないのか。
  • 友達の話と言って自分の意見を表明するのは卑怯だ。
  • それなりに熱愛を騒がれているのに雑誌でこんなことを語るのも不用意。
  • 言いたい相手がいるのなら本人に直接言えばいい。
  • これで妙齢の彼女と別れようものなら救いようがないほど格好悪い。


そう思っていたから、今回の報道で別れていないことがわかって良かった。
でも「嬉しかった」とは違う。嬉しいとは思わない。
いつもこんなに人目を気にして不自然なやり取りを繰り返しているのか。車くらい一緒に乗らせてあげたい。恋人を隣に座らせてあげたい。こんな写真を載せられてどんな気持ちになっただろう。やっぱり誰かのものであるのを目の当たりにするのは寂しい。まだ別れていないことを知れて私は良かったが、二宮はそっとしておいてほしかっただろう。「アイドルだったせいで結婚できなかった」と年老いた二宮に言われたらどこかで嬉しいのではないか。心はぐちゃぐちゃだ。
感情は片付かないが、大人の理性で「良かった」と思うのだ。
幸せでいてほしいと理性で願っている。
心でも半分くらいは本気でそう思っている。


二宮! 貫けよ!!