I have a dream.

私には夢がある。
私は、私たちの歴史の中で、自由のためにそれなりに偉大なアイドルである嵐に、今日、皆さんと出会うことが出来て幸福です。
今から約10年前に、我々がその像の下に立っている偉大なるおじいちゃん(ジャニーさん)が、嵐という名前を紙に書きました。
この重要な命名は、それまで燃えさかるかっこつけのアイドルたちに飽き飽きしていた何百人ものツンデレーたちにとって、希望を示すすばらしい灯りでした。
それは「ジャニーズ=かっこつけ」という既成概念のもとで、癒しに背を向ける長い夜に終わりを告げる、喜びの夜明けでした。


我々は、もはや単独で歩くことはできません。
そして、歩くとき、我々は前進し続けることを心に誓わなければなりません。
Come on Everybody, 前進あるのみ、だからです。
我々は嵐がいなかったあの時代に、引き返すことは出来ないのだから。


熱心なツンデレーアラシッカーに「あなたがたはいつになったら満足するのでしょうか?」と問う人びとがいます。
あの5人が、「とぼけたアイドル」という言葉より大切なものの表現者である限り、我々は決して満足することができない。
決して決して、我々は満足していない、「5人が全員日替わりで夢に出て、生活が強力に嵐漬けになる」まで、満足することはないでしょう。


戻ろうDEEPな冒険へ、
戻ろう私たちの人生における一日へ、
戻ろうできるだけ、
戻ろう輝く瞳で、
戻ろう素晴らしき世界へ、
戻ろう祭りの夜partIIへ、
戻ろう全身前向きに。
虹の向こうへも行けちゃうし、風の向こうへも行けちゃうことを信じて。


私には夢がある。いつの日かネット空間において、かつて手の届かなかったアイドル5人全員と結婚して、家族として同じテーブルにつくことができるという夢が。
私には夢がある。今、世間体と自制心の炎熱に焼かれるこの空間でさえ、自由とえげつない妄想のオアシスに生まれ変われる日が来るという夢が。
私には夢がある。私の5人のかわいい恋人たちを、いつの日かアイドルではなく思いっきり性の対象として評価しても怒られなくなるという夢が。
今日、私には夢がある!


「ついに自由だ、ついに自由になれた。
匿名性の神とジャニーさんに感謝しよう。ついに我々は自由になったのだ」。


そう。私(たち)は自由になれた。
私はもっと語りたい。
嵐によって自分が自由になれたことを。
私はもっと語りたい。
嵐みたいな男と理想郷において付き合いたい気持ちを。
私はもっと語りたい。
相手が誰だったらあーで、こーか、という下ネタの嵐を。


そんなわけでこのブログができた。
露悪的な愛、それがファンってものだろう。