二宮的な、あまりに二宮的な
そのことを実感する一年だった。その人が隣にいることよりも、心の中にいるかどうかの方が、ずっと大事なことなのだと知った。
謎ディ第9話を見逃した悔しさをバネに今日まで続けてきた連続更新も、大晦日で一区切りとしたい。私は茶の間で寝るので、5人には最後の一仕事もがんばっていただきたい。
さて、締めくくりが終わったところで、以下は超大なオマケである。
もし明日で世界が終わるなら、
もし今年ですべてが終わるなら、これだけは言っておきたい。
あなたは『ハンサムな彼女』という漫画を知っているだろうか。88年から92年にかけて、集英社の雑誌「りぼん」で連載された少女漫画である。
この漫画のヒーローは、熊谷一哉(くまがい・いちや)といって、高校生のくせにハリウッド映画に出演経験があり、しかも映画監督もこなすスーパーボーイである。
私は思う。
- 確かに嵐は、たった数分間の曲中で演技をしている。特に二宮と松本の色の付け方を見ていると、いつもこの漫画を思い出してしまう。「演技してるじゃないか」「○分間 歌ってる間――」。
- ちょっとでもシャツがぺろんとした衣装を見ると、すぐに下記のシーンを思い出してしまう。たとえば「How’s it going?」での大野ソロ「so-so-so」の衣装。
- 熊谷一哉=二宮和也にしか見えない。
私にとって『ハンサムな彼女』は、少女漫画の読み方もわからなかった頃に洗礼を受けた特別な漫画である。美形の主人公、大人びた高校生、芸能界、仕事、恋愛。あこがれが目一杯つまった大切な作品だ。そのヒーローである熊谷一哉は、髪も短いし、日本人だし、ハリウッド俳優だし、人たらしだし、映画監督だし、仕事にかまけて女を泣かせ、優柔不断で女を泣かせ、クールに見せかけて抜けたところがあり、ひねくれた発言の割には周りに愛され。どこぞのポッキーにしか見えないのである。
ことばが現実を支配するように、毎日せっせと嵐への愛情をしたため続けたせいで、私の頭はだいぶ侵されてしまったようだ。連続更新がそれにとどめを刺したのかもしれない。
原作のイメージをけがされて悲しい思いをした方、謝ります。
でももし、一緒に病んでくれるならば、私は嬉しい。
来年も遊びましょう。