降ってきた

思い出してしまったこの日を。

本人がいなくても存在感は大きい。

世界中のどれだけの人たちから「今なにしてるかな」「おめでとう」と思われているのだろうか。愛されている。

 

私は5人の俳優とかCMとかのソロ活動にはそれほど興味がない。

でもソロコンだったら絶対に行きたい。

特に大野のソロアルバムはぜひ聞きたい。

私が一番ソロ活動を求めている人が、今後万が一復帰するとしてもソロになることはなさそうで、私の好きなグループを全うして休みに入ったというのは、なんだかとても贅沢な気がする。

お誕生日おめでとうございます。歌いませんか?

ぐはー

インスタ。四人が動いて喋っていた。

櫻井、足が細すぎる。相葉もそろって細すぎる。

結婚しても子どもがいてもかっこよすぎる。

こんな人たちがこの世界にはいたのだった。そして四人で並んだときの物足りなさ。

後ろに絵があっても物足りなくて最高だった。

物足りない姿にこの上なく満たされた。

幸せでいてくだアルバム出してください

現実を受け入れ始めた。

年を取るほど、昔からの友人は大切になる。経験や肩書きを得る前の、本当にただ自分だけという存在だった頃から自分を知る人は、どんどん周囲から減っていくだけに貴重である。

報道のどこまでが真実なのか知らないが、もし20代の彼らを知る人が今後も身内として側にいるのなら、それは私から見ても心温まることだ。

 

誰にでも表の顔と裏の顔があると思うが、社会的に成功している人は、特に隠さないといけない顔が多いことだろう。失敗にまつわる苦労なら、他人にいくら見せても問題ないが、成功した者だけが知る大変さは、周囲には自慢としか取られないからだ。

5人には5人にしかわからない思いがあるのだろう。だからこそ、年々お互いが大切な存在になっていったのではないか。改めてそう思う。

そして5人の間でも、分かち合えない、口にしてはいけない気持ちがきっとあるだろう。

そうならば、そういう気持ちを正直に語れる誰かが家にいてくれるということ、やっぱりよかったと思う。

全然

今日とても仕事忙しかった。

夜11時。ニュース知った。

大丈夫じゃない。

明日9時から会議。休めない。

一瞬だけ思った。私よりもっと忙しい人たちいた。

そんな人たちが色々考えてくれたのわかる。ありがたい。

いや無理してる。そんな聖人じゃない。私ただのファン。

全然大丈夫じゃない。

発作

結婚して子供もいる男性の誕生日なんてどうでもいいということで、

当日はすっかり忘れていた。

自分でも驚いたが、それが健全なあり方だと思っていた。

 

 

それなのに、一周回って、

 

あ〜娘がうらやましい〜〜〜

あんな面倒くさい男に世界で一番大切に思われる存在!

戸籍上の縁がどうなろうとも一生切れることのない関係!

ここがお父さんに似てるねと言われたり、

歩いて食べて話して学んで恋して酒飲んで、そのたびに感動されたり、

は〜〜〜〜〜 いいなー

 

なんだろうこの感情。

毎日聞いてる

嵐の音楽。

去っていこうとするアイドルに

「寂しかったら嵐を聴いてください。

俺も聴きます」

と言ってもらったのは初めてだった。

ファンは熱心にアルバムを聴き、歌詞にメンバーの思いを探したり、歌割りに楽しみを見つけたりしているが、当人たちはレコーディングとコンサートが終わったら、まず聴くこともなく忘れていくものだと思っていた。

最近はJの声がするたびに驚く。あんなに毎週テレビで姿を見て声を聞いていたのに、今はCDの中にしかいないから。

全員がラップをしている曲はどれも好きなのだが、10代や20代ならともかく、アラフォーになっても真剣にラップを歌い合える関係ってない。リップスライムでもない限り。

ドラマやバラエティをコツコツ見ている。櫻井が「メンバー」と言うだけで嬉しくなる。去年までと同じように、嵐の音楽とともにある時、一番自分の近くにいるって感じる。

心に訴えるからアイドル

VS嵐の「台場で相葉が泣いちゃったスペシャル」、タイトルからして嫌だった。

ハワイに続き、とにかく誰か泣かせれば済むと思っているような番組の作り方が嫌だし、それにホイホイと乗せられて楽しんでしまう自分も嫌だった。

それでも私にとって忘れられない回となった。

 

「ここで泣けたらパーティー代を払わなくても許します」というゲームが始まり、しっかり泣き始める相葉。

予告のCMで散々涙を見ていただけに、こんな経緯だったのかと拍子抜けしたが、その後の展開は予想を超えるものだった。

「せっかく泣けたけど、ゲームを始めるという合図を出さなかったから失格です」と、コーナーのオチに向かってパスを出してくれる二宮と櫻井。

そこで「ああ、ゲーム始め、って言ってから泣けばよかった〜」と笑ってしまえば、十分コーナーは成立し、きれいに落ちただろう。

 

しかし相葉は

 

「ゲームとか関係ない」

 

と言った上、さらに

 

「ゲームなんかどうでもいいんだよ」

 

と重ねた。

「この場を笑いで収めよう」というパスを明確に拒否した。

二宮と櫻井が出してくれた最高のパスに乗らないなんて、どれほどの勇気だろうか。しかし、きっと相葉にとっては勇気とか決意とかを必要としない、自然な態度なのだろう。涙の理由である4人の優しさへの感謝を語ることの方が、オチよりもずっと大事なことだから。

自分でも嫌いなところだが、私はシリアスになりそうな場をすぐに茶化そうとする。それで乗り切れているつもりで、全然乗り切れていない。わかっているのに直せずにいる。

こんなふうにゲームじゃないんだと明言して、安易に落とすことを否定する。こういう相葉の姿を何度も見てきたが、一番ガツンとやられた気になった。

 

笑ってその場が済んでも、それで取りこぼしてしまう気持ちがある。

私は心から相葉の背中に学んだ。

こういう風になりたいと思った。

だから二宮は相葉が好きなのだとわかった。

 

 

私にはこういう姿が必要だ。誰かが誰かを思いやる姿が。嵐が休止してから、仕事で驕った態度になってしまっている気がする。週に何度か、こうありたいとか、これはよくないとか、教えてくれる人たちがいた。それを失ったことが痛い。