14歳の瞳

相葉+櫻井+松下さんが中学を訪問する「嵐ちゃん」の続きを見た。

  • 二人が帰った後、幸運にも二人と握手できた中学生たちによる間接握手会が開かれたことだろう。
  • 校内放送を流す松下さん。「午後の授業もがんばりましょう」だけでなく、「今回は皆さんにパワーをもらって」と心のこもった感想を添える。仕事の場において同じことをされたら、次からも絶対にお願いしようと思うだろう。特別なエピソードはないのだが、今回、松下さんが好きになった。
  • 櫻井は私立中学という場にものすごくなじんでいるのだが、相葉は近所の父兄が来たようにしか見えない。相葉の公立感。
  • 吹奏楽部が演奏するHappinessを聞いて、どこか神妙な顔を見せる相葉。この人の感性が好きだ。顔も体型も確かに好きなのだが、この人が感動する対象、なにに心を打たれるかというところが、芸能人らしくないと感じる。自分の立場の特別さをよく知っていて、受験に合格してファンクラブに入ったファンや、自分たちの曲をアレンジして演奏してくれる中学生の存在に、新鮮な驚きと感動を抱いてくれる。そういうところが好きなんだ。
  • 櫻井先生の特別授業。台本かもしれないが、どの中学生も質問が簡潔なところに頭の良さを感じる。
  • 嵐は全員そうだけど、相葉も櫻井も、アイドルしゃべり・芸能人しゃべりを完全に脱しているところがすばらしい。
  • 櫻井先生、意外と口先だけで話している。内容がテキトーという意味ではなく、顔の中で口元の筋肉しか使っていないということだ。ニュース番組と違い、はっきり話すということをほとんど意識していないように見える。頭の回転を全開にして話すと、顔の動きにまで意識がいかなくなる。真剣に答えてくれていることがよくわかったし、この人でもこんなボソボソ喋りになるのかと、ちょっと嬉しく思った。
  • 櫻井先生、「往々にして」「そういうことに反映できる答えがあるとしたら」「仮に……とすると」と、話の中にインテリっぽさ=内容の限定、文語っぽさをいちいち挟んでくる。特に授業が始まったばかりの頃に顕著だ。こうやって自分の賢さを会話の中で呈示して、「僕に仕事をまかせて大丈夫ですよ」と暗に周囲を説得しなければならないことがよくあるのだろう。
  • 時系列も前後しないし、文章もねじれない。先生、やっぱりしゃべりが上手い。「2000年の3月、4月末」と具体的な時間を挟むところにも賢さを感じた。
  • このように、今の28歳の目で見て感じることはあったのだが、もし14歳の私だったら。ある学生のベース演奏について語った「才能、

というか努力だとは思うけど」

の一言に墜ちたと思う。

  • 皆ができるわけじゃないことをできる、それは才能というより努力のたまもの。櫻井先生が日頃考えていること、そして本人が重ねてきた努力の跡が、会話の片隅に顔を出す。その顔に14歳の私が出会ったら、もうだめだった。今頃茶の間になんて座らずにテレビ局で出待ちしていたことだろう。
  • しかし、感動に震えていたであろう14歳の私は、櫻井先生が最後にこぼしてしまった「今はわからないだろうけど、恵まれた環境にいる」という一言に落ちただろう。年上の人間は、皆してそういうことを言う。確かに恵まれているよ。でも、だから全てがOKなわけじゃなくて、大変なことだってあるよ。あなただって、人に「才能あるねー」って言われて腹が立つ経験をしたのだろう。それと同じで、それはそれで苦労もあるのに「恵まれてるねー」って人に言われることの不快さも知っているんじゃないのか。14歳がサクラップに牙を剥く。

14歳でも28歳でも、私は櫻井に完敗しながら、どこかで腹立ちポイントも持ち続けるのだろう。まさに「好きだけどむかつく」「むかつくあいつが気になって気になってしょうがない」、今も昔も共通する私の恋の姿だ。
もうちょっと成長していたかった。