きみの日

去年の今日、道重さゆみの卒業に涙して、牛タンを食べて帰った。
今年は純粋にただ君の日だったので、スーパーで魚介類をどっさり買って、あんこう鍋にした。
34歳の一年は、災厄の年だったかもしれない。しかし、あのスキャンダルを通じて、私はあることに気づかされた。
ファンがネットを探っては新しい情報をつまびらかにしていく過程で、もう見つからないでほしいという思いと、呆れたような気持ちが交錯していた。なんなんだこの人。「プロ意識がない」「仕事にプライベートを持ち込むところが昔から全然変わっていない」といった嘆きが耳に入ってきて、まったくその通りに思えた。
あの面倒くさそうな顔も、気乗りしなさそうな様子も、「大野くん」のキャラ付けでもなんでもなくて、ただただ本当にやる気がなかっただけだった。ああ、そうか。そうだったんだ。
では、やる気のないあの顔も、楽しそうなあの姿も、シリアスな眉間も、胸を打ったあの涙も、笑顔も、ファンのための作り物ではない本物だったんだ。この人はいつだって自分でしかいられないのだから。
大野は隠すべきところを隠しておけなかったが、いつも真実を見せてくれていたとも言える。私は素の大野を少しだけ知っていると言ってもいいのかもしれない。そんなアイドルはなかなかいない。
何度もピンチを救ってくれた人を嫌いになんてなれなかった。ことばだけの誓いではなく、本当に、富めるときも貧するときも、病めるときも健やかなときも、恋人がいるときもいないときも、私は大野を好きでいられると思う。


それはさておき、いつもこの番組をテレビ欄で見るたびに録画しそうになる。

「おおちゃん」ではなく「だいちゃん」なのだが、紛らわしいことこの上ない。大野(35)も始めてみればいいじゃない。釣り番組でまた本物の笑顔を見たい。

まるちん

今年もおめでとう(32)。隣近所のグループのちょっと気になる人が、いつまでもいてくれるわけじゃないと、最近わかった。ずっとお祝いさせてほしい。