今でも

「二宮が小さくて好きなんよ」と言った祖母が倒れ、寝たきりになり、言葉が話せなくなってしまった。
私が会いに行くと涙を流してくれたが、だんだん疲れてしまうのか、帰る頃には認識してくれているのかどうかも怪しかった。
たくさんの子どもを育て、さんざん家族を看取り、最後に残されたばかりに広い家で一人過ごすことになり、しかも今となっては愛したその家で亡くなることもできないのかと思うと、ただ不公平だと感じる。しかしそういうものなのだろう。なにを考えても、そんな風に結論づけることしかできない。
施設の個室に入り、毎日ヘルパーさんに来てもらう祖母。お金に困っていないし、子どもたちも遠方から代わる代わる会いに来る。恵まれている方なのだろう。誰かが家で介護をすべきだとも言えない。それでも。


最近では「トイレ」「お茶」など、自分の意思を人差し指で示すこともあるという。今でも5人を目の前に並べたら、きっと二宮を指差すのだろう。脳や体が麻痺し、すっかり中身が変わったように見えてもおかしくないはずなのに、そういう人格の片鱗が顔を出すたび、おばあちゃんがここにいるなと感じる。