崇拝するに足る偶像

しやがれのスペシャルメドレーを見た。
Heroを歌う5人の背後には、若い頃の嵐の動画が映る。
「ごくせん」の、まだ18歳だった松潤24時間テレビの20代の嵐。
驚くのは、失われた10代、20代なりの顔の魅力はあるものの、
どう見ても全員今の方がかっこいい
ということだ。
絶対に今の5人の方がかっこいい。不安定さがない。積み上げてきた中身がある。過去にはなかった魅力がある。不思議なほどだ。

もう一つ、Heroを聞いていて不思議に思うこと。

そのまなざしが 
世界に勇気与える Hero

嵐は、聞き手に向かって「あなたがヒーロー」と歌ってくれるのだが、聞いている方はヒーローに嵐を重ねて聞いてしまう。
どうしてアイドルに励まされるのだろうか。女性アイドルの場合は、舞台裏で涙したり、必死に歌を練習したり、そういう健気な努力にファンは自分を重ねる。しかし嵐は、とくにそういう姿を見せていない。
それなのに、どうして彼らのことをよく知っているかのように思ってしまうのだろうか。さらには、知りもしない姿に励まされたり「積み上げてきたものがある」とわかったようなことを言ったりする。Monsterも、当時の自分を重ねて、またドラマ撮影が大変そうだった大野を勝手に想像して重ねて、特別な感情なしには聞けなくなっている。

私は嵐を応援しているようで、実は自分を応援してきたのだと思う。嵐に勝手に投影している理想や希望は、自分がこうありたいという幻想に過ぎない。
しかし、5人はそれを受け止めるに足る偶像なのだ。いろいろな人の願いや理想を込められる大きな入れ物である。それを5人が作り上げた。

私の次なる願いは、嵐がいつか再開するとき、500円で新曲をリリースしてくれること。そのとき、CDという媒体は消え失せ、ジャケットという概念もないかもしれない。未来における最新のあり方で、懐かしさも含んだ再生を遂げてくれることを待っている。