次々に生まれる遊び

VS嵐」20周年企画を見た。

最初の3分だけは「ああ、このときはまだ」とよぎったが、やがて自然と日常に戻った。テレビの力だ。

財布の中身がいくらか当てる企画で、カツアゲのように財布を奪ったり、財布を地面に落とさせたりする二宮。時間を計るために水時計を作る二宮。やっぱりこの人、面白い。

と、思える私はやっぱり二宮茶の間担なのだろう。こういう点をめんどくさいと思う人がいるのもわかるが、私にはたまらない。こういうところが好きなのだ。

こんな人が同じ家の中にいるってどんな感じなんだろう。外にいる時とは違って疲れて無愛想な顔も見せるだろうし、反対に家の中でしか見せない優しさにあふれた顔もあるのだろう。脱いだスエットがころころに丸まっていそうだ。

 

あー見たい。

 

二宮が女性と暮らしているということが公然の事実となった今、妄想ゲームになぜか罪悪感がなくなった。土台だけは本当のことだからだろうか。

指輪はどこのを買ったんだろう。プロポーズは。絶対に知りたくないけど妄想だけ楽しむ。

「なぜ今」というネット記事が出ているが、単にゾロ目だからとしか思えない。1がそろえばゾロ目フィーバーで出玉ジャラジャラというパチンコ的発想ではないだろうか。結婚生活にお金は大事だし、記念日を忘れないというロマンティックさも大事だし。いずれの点においても合理的である。

二宮に限らず、5人とも本当に面白い人たちだ。こんな人ってほかにいる? と思う一方、どんな人間も真剣に見つめれば、同じくらいの面白さが出てくるものなんじゃないかとも思う。そんなことさえ考えさせる「クイズ松本潤」だった。私も20年来の友人と内輪でこのクイズをして笑いたい。

 

意外と4人も、こうなると聞いたときは寂しかったのではないだろうか。置いていかれたような感じとか、長年の付き合いの人が変わってしまうこととか。もちろん自分自身の結婚をどうするかも考えるだろうし、平静ではいられないと思う。

私はつらいことがあると、いつもこうして「あえてそのことについて考えまくる」という方法をとってきた。今回のニュースがつらいことだとは言いたくない。ただ、受け入れるために色々な策を弄しているだけだ。絶対に受け入れようと決めているが、まだそれができていないから。

 

ああ、二宮の顔がタイプの祖母と、二宮の話がしたい。二人で「えーっ」と言い合いたい。「私にしておけばいいのに」と、すでに連れ合いを亡くした祖母と、ずっと独身の私で、いっしょに悪い顔で言い合いたい。