Step and Go

息もしないで最後を見守った。

隣に夫がいたので、歓声を上げたり泣いたりはできなかった。台風ジェネレーションのイントロに興奮しても「まさか」「これ生で聞くの初めて」と声に出せなかった。

頭痛がするほど涙をこらえ、感情を爆発させないように留めると、そこだけは嵐の状況にシンクロしたつもりになれた。Step and Goでの大野の「両手に」を絶対に聞き逃さないように、集中して画面を見つめた。

それでも、どうしても涙がこぼれてしまったのは、ファンの顔が映し出されたとき。私は嵐も好きだが、嵐を取り巻くファンのことばが好きだった。コンサートを見ている雄弁な顔たちがメンバーへの愛を物語っていて、たまらなかった。

マイガールで櫻井が「ありがとう」という歌詞にあわせて深くおじぎしたときにも、涙をこらえられなかった。

 

 

これまでに何度かアイドルの卒業を見てきた。涙涙のコンサートである。しかし「辞めないで」と泣くのは残されるメンバーとファンだけで、卒業する当人はどこかすっきりした顔をしていたものだ。

グループの解散や活動休止も見てきたが、どのグループも自分たちの決断だからと、やはりどこか清々しい顔で去っていった。これほどまでに続けたかった、まだ夢が見られた、やり残したことがある、と語ってくれたのは初めてだった。

卒業するアイドルの常套句である「前に進む」ということばを、嵐は誰も言わなかった。Jは「生きていく」「歩いていく」と言った。嵐にはたくさんの野望と野心があるくせに、意外と成長主義的でないところが好きだ。彼らがファンを置きざりにしない姿勢を勝手に感じ取り、うれしくなった。

嵐も嵐を止めることに寂しさや無念を感じている。そのことに救われた。

5人がカメラに視線を向けるたび、言葉を発するたび、全部自分に向けられていると思えた。

 

二宮は番組で「休止に対し、おめでとう、よかったねと言われるのではなく、惜しまれるようなグループであれたことが誇りだ」という趣旨のことを語っていた。だったら結婚を惜しまれ続けるアイドルであることにも誇りを持ってくれるはずである。

私はこれからも二宮に「私ではどうか」と言い続ける。

5人を待ったり待たなかったりしながら、自分の生活をする。そうやって過ごしていくつもりだ。

まずは行き届いたリピート配信を一人で見て、思い切り歌って踊って騒ぎ倒す。熱狂は続く。