今知った

イギリス人の友達とお互いの言語を教え合っていた頃、何度も聞かれたことばがある。「I miss you って日本語でなんて言うの?」。会うたびに彼女が変わる男性だったので、よほど何度も言いたい機会があるんだなと思いながら、「寂しい」「恋しい」「会いたい」とあれこれ答えるのだが、いつも却下されていた。どれも彼の気持ちにぴったりくることばではなかったようだ。結局最後まで答えは見つからなかった。

 

 

加速していく嵐を遠くから眺めている。Netflixにもまだ登録していない。見たいけど見たくないから。

終わりがないなら、なんでも見たいし知りたい。楽しみたい。でも、終わりがあるのなら、見たくない、知りたくない。消費したくない。とっておきたい。

こうして目をつぶったまま2021年を迎えたら、なにも気づかないままでいられるんじゃないかと思ったりする。

この一連の流れ、おめでたくて喜ばしくて未来に向かって前進していくニュースたち。その流れに乗れなくて、ぽつんと遠くから応援してるよと思いながら、なんとも言えない気持ちになる。これはなんだろう。

 

あ、これ「寂しい」だ。

この気持ちこそが「寂しい」という感情だ。寂しいということばには、負の感情だけじゃなくて、よかった、という気持ちも含まれるのか。半分は明るいことばだったのだ。好きだからこそ寂しい。本人の願いだとわかっているからこそ寂しい。卒業みたいな、誰かの帰国みたいな。何度も味わってきたはずなのに、そのことを初めて知った。